東海道本線(2) さよなら「あさかぜ」「さくら」・1

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 別れはあっけなくやってきた。長年東海道を走り続けてきた寝台特急「あさかぜ」「さくら」が、2005年2月28日を最後に廃止された。
 僕にとって、数ある列車の中でもいちばんのスーパースターは新幹線ではなくこのブルートレイン。なんと無邪気なことに、「あさかぜ」「さくら」はいつまでも走り続けると思っていた。
 運悪くこの時に仙台にいる僕は、その最後の姿を目に焼き付けようと東京駅10番ホームへ駆けつけた。


(←)2005.2.28 保土ヶ谷─東戸塚
AM6:59。大きなカーブを曲がって、憧れのヘッドマークがぐんぐん近づいて来た。緊張と喜びを感じながら、シャッターを切り続けた。
 ダイヤ改正で「あさかぜ」「さくら」廃止。この事実を知った時、僕は仙台にいることをうらめしく思った。幼い頃から慣れ親しんだ首都圏や東海道の列車達に激動が起きている今、東京を離れていることは僕にとってつらいことだ。
 ダイヤ改正前日、つまり「あさかぜ」「さくら」が出発する最後の日である2005年2月28日は月曜日だった。僕は仕事の休みを取り、鉄道ファンの友人と二人で東京駅へ向かった。
 「さくら」の発車は18:03、「あさかぜ」の発車は19:00。友人は僕に「15:00東京駅集合」を提起した。「早過ぎないか」と僕は思ったが、その提起は正解だった。15:30過ぎに僕たちがホームに上った時、すでにホーム端には数十人の鉄道ファンが待ち構えていた。
(←)鳴り響くカメラのシャッター音に迎えられて、「さくら」の客車がホームに滑り込んできた。
(→↑)18:04。定刻を少し過ぎ、「さくら」が最後の発車をした。銀帯の「はやぶさ」のあとに続いて、白帯がするすると流れて行く。そして、幼い頃から図鑑で親しんだ、あの桜の花びらをあしらったテールマークが僕の前を通り過ぎて行く…。「さくら・はやぶさ」の客車を10番線へ牽引したあと、発車までのあいだ待機していたEF66が、本来の任務である「あさかぜ」牽引のために待避線へと移動して行く。前面には「あさかぜ」のヘッドマーク。ホームから拍手が沸いた。
(↑)「さくら・はやぶさ」の客車を10番線に牽引したあと、本来の仕事である「あさかぜ」牽引のために待避線に移動するEF66 42。
2005.2.28 東京駅
(↑)2005.2.28東京駅。電光掲示板が告げる最後の発車。
(→)17:41。「さくら」発車まで20分。ホームにはロープが張られていて、鉄道ファンがひしめいていた。
 「さくら」のルーツは1923年登場の特急3・4列車(東京─下関間)にさかのぼる。29年には愛称「櫻」がつけられた。しかし、戦時体制とともに「櫻」を含め特急列車は全廃されてゆく。
 戦後「さくら」が本格的に復活したのは59年。「あさかぜ」に続き、当時としては抜群の豪華設備を誇った20系客車を使用した寝台特急として登場。東京─長崎間を結んだ。
 65年、付属編成を佐世保まで延長。長崎本線肥前山口で分割・併合されることになった。これを解消するために、71年から電源車を必要としない分散電源方式の14系客車に置き換えられて今日に至った。85年からは牽引機がEF66になった。
 残念なことに、寝台特急の需要減少とともに「さくら」は凋落の一途をたどる。93年、食堂車廃止。99年には「はやぶさ」との併結となり、佐世保編成は廃止された。
 そして05年の3月ダイヤ改正で「さくら」は戦前から数えれば76年に及ぶ歴史に幕を閉じた。
(→)最後の発車を待つ「さくら」。2005.2.28東京駅
(←)2005.1.28東京駅
(↓)「さくら」の廃止とともに、この日で廃止となる東京駅発着の荷物輸送にもファンの注目が集まった。
(↑)2005.1.23 川崎

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