旅・街歩きの最近のブログ記事

2012.06.02(土)

#01
ニコン D700、タムロン SP AF28-75mm F2.8 XR Di LD ASPHERICAL(IF)MACRO、75mm、1/100秒、F4、露出モード:マニュアル、ISO200、WBオート

牛深ネコを発見(笑)






 

#02
ニコン D700、タムロン SP AF28-75mm F2.8 XR Di LD ASPHERICAL(IF)MACRO、75mm、1/100秒、F4、露出モード:マニュアル、ISO200、WBオート

港町のネコを本当はゆっくり撮りたいのですが、この日は色々と時間に余裕がありませんでした。


余裕のある態度で接することができず、すき間に逃げられる(笑)

#03
ニコン D700、タムロン SP AF28-75mm F2.8 XR Di LD ASPHERICAL(IF)MACRO、75mm、1/80秒、F2.8、露出モード:マニュアル、ISO200、WBオート




洗顔中。


#04
ニコン D700、シグマ APO 100-300mm F4 EX DG HSM、170mm、1/160秒、F4、露出モード:マニュアル、ISO800、WBオート





漁港だけあって、街中あちこちにネコがいるようです。
魚屋さんの中にまでいるとか。

#05
ニコン D700、タムロン SP AF28-75mm F2.8 XR Di LD ASPHERICAL(IF)MACRO、48mm、1/80秒、F2.8、露出モード:マニュアル、ISO200、WBオート




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2012.05.31(木)

 

牛深は、小さな港町です。
初めてこの地を訪れた4月21日は、あいにくの雨、それも時折激しく降る雨でした。

この雨のために夜のハイヤ総踊りは、屋内の舞台演舞に変わってしまいました。

雨のために街歩きと撮影も、なかなかうまくいきませんでした。


 

 

今は小さなこの港町も、江戸時代は海運の寄港地、全国有数の漁業の町として栄えました。


 

その象徴的な存在の一つが、遊郭。いかに寄港地として栄えていたかを物語ります。

かつての遊郭の建物が、今も残っています。
その一つが、「紅裙亭」。
「紅裙」とは、中国の言葉で、美しい女性という意味なのだとか。


 

牛深ハイヤは遊郭の芸妓によっても踊られ、洗練され、船乗りたちによって全国各地へ伝播していった、といわれています。


 

こちらはもう一つの、より立派な造りの「三浦屋」。

もっとも、牛深の遊郭については不明な点が多いです。
船乗りたちが、天候待ちで夜な夜な酒を飲み、遊び、金を落とす。牛深の貧しい女たちは、その男たちを慰めた。
時化がおさまり、再び船で牛深をあとにする男たちを、坂の上から女たちが見送った...。
―といった記述もありますが、真偽のほどはよくわかりません。

むしろ、牛深の遊郭で働いた女性は外部から来たのであり、客の男は牛深の豊かな漁師たちだった、との記述もあります。

まだ多少の資料を読みかじったばかりの僕には、詳しく論じる力がありません。


 

東京下町の狭い路地のような、住宅が密集した集落。
「背戸輪」とよばれる、漁民の集落です。

道が細いのに、海からと山からの風が合わさって風通しがよいといいます。不思議。


 

背戸輪のあるこの一帯を、加世浦集落といいます。
ハイヤ踊りの原型、思い思いに即興のように踊る「元ハイヤ」が、今もこの地域のお年寄りによって踊られています。
今回、僕は見る機会に恵まれませんでしたが、これは貴重な伝統芸能です。


 

牛深、天草は海の幸の宝庫。
あげればきりがありません。ハイヤ祭りでは、たくさんの商店の仮設店舗で、売られていました。

これは、きびなごの一夜干しと味醂干し。
最高です。

きびなごは、九州と高知県以外ではなじみがない魚のようです。
僕は福岡にいた子どもの頃、しょっちゅう天ぷらを家で食べていました。


そしてこちらが、珍味、生からすみ。

これはもう、最上の地酒とともにどうぞ。酒が止まりません。




揚げたての揚げ蒲鉾を売っていた、原蒲鉾店のご主人。

あおさ入りの揚げ蒲鉾など、最高に美味しかったです。

 

牛深は、ちょっと遠いけど、魅力盛りだくさんの街です。


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2010.11.14(日)

#01
 ニコン D700、タムロンSP AF28-75mm F/2.8 XR Di、75mm、1/125秒、F4、マニュアル露出、ISO200、WBオート

宜野湾漁港にある、漁師たちの休憩所。

そこで可愛い猫に出会った。

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2009.10.26(月)

090910_NIKON D700_0095-m.jpg

 ようやく最終回です。

 上の写真は、宿泊した民宿・但馬屋です。雰囲気のある、とても堂々たる構えの宿です。
 石畳の宿場町を歩き、眺めのいい喫茶店でパフェなど食べていると、あっという間に時間が過ぎました。

090910_NIKON D700_0109-m.jpg  宿場町の中にはいくつか大きな水車が。
 そのうち一つは、枡形という軍事的な意味で道を直角に曲げているところにありました。

 

 

090910_NIKON D700_0098-m.jpg  馬籠は、結構標高が高いところにあります。
 島崎藤村の墓の近くからは、いい眺めが。右奥のほうに美しい田園が広がっていました。
 左にあるのは恵那山です。

 以前からあこがれだった妻籠、馬籠をメインとした今回の旅。
 歴史的な街並みや伝統芸能にふれ、人との出会いもありました。
 生涯忘れることのない旅となりました。

(終わり)

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2009.10.25(日)

090910_NIKON D700_0005-m.jpg

 多忙な日が続き、また更新が空いてしまいました。残念です。
 妻籠・馬籠旅行から日がたってしまいました。

 いよいよ旅の終わり、馬籠宿です。
 妻籠とは打って変わって、こちらは坂道のただ中に宿場町があります。バスを降りてから荷物を転がして民宿へ。息が切れました(笑)

090910_NIKON D700_0001-m.jpg  宿泊した民宿、但馬屋では、ご主人さんの指導で宿泊客の木曽踊り講習会があり、参加しました(笑)
 「木曽のナァ~、中乗さん 木曽の御岳、ナンチャラホイ~」とご主人が歌う木曽節に乗せて、踊りを覚えました。ばっちり修了証もいただきました(笑)楽しい思い出です。

 馬籠は、妻籠と違って明治の大火など度重なる火災で宿場のほとんどの建物が焼けてしまい、建物は比較的歴史の浅いものしか残っていません。
 重要伝統的建造物群保存地区にも指定されていないせいか、妻籠では皆無だった自動販売機もよく見かけました。
 でも、僕好みの落ち着いた街並みであることには変わりありません。

090910_NIKON D700_0022-m.jpg  馬籠郵便局では、配達から帰った局員さんが被写体になって下さいました。
 同郵便局は集配局ではないのですが、宿場の近辺だけ特別に配達しているそうです。

090910_NIKON D700_0050-m.jpg  昼食は、恵盛庵でざるそばを。期待通り、美味しいそばでした!
 コシがあり、深みのある味で。

 食事のあとは、また元気に歩いて藤村記念館などをじっくり見ました。
 ここ馬籠は、島崎藤村の出身地であり、小説「夜明け前」の舞台です。

(続く)

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2009.10.04(日)

090909_NIKON D700_0113-m.jpg

 更新が滞ってしまっていますが、もう少しこのシリーズは続きます。

 江戸時代の木賃宿だった「上嵯峨屋」は、ほぼ当時のまま残っています(有形文化財)。
 伊藤さんが、右手の外に面した柱や戸をはずせることなど、面白く教えてくださいました。

090909_NIKON D700_0121-m.jpg 宿場で大名や勅使など特別な一行のみのために用意された宿泊所が本陣ですが、その予備的な施設として脇本陣がありました。
 妻籠宿では、明治初期に建てられた脇本陣が国の重要文化財に指定されています。

 良質な木材の産地である木曽の森林は、尾張藩によって伐採が厳しく制限されました。無断で伐採すれば死罪となり、「木一本首一つ」といわれました。

090909_NIKON D700_0123-m.jpg 脇本陣奥谷(奥谷は、兼業だった造り酒屋の屋号)は、かつては禁制だった檜をふんだんに使っています。
 左の写真は、通称「竹の間」。右上に竹の葉をかたどった透かし欄間が見えます。大名などがここに通されたそうです。
 左上に見える書は、島崎藤村のものです。

 

090909_NIKON D700_0153-m.jpg お昼は、伊藤さんの奥さんがおすすめしてくれ、僕も事前にチェックしていた「吉村屋」で、美味しい蕎麦を。
 その近くの「俵屋里久」で名物の五平餅を食べました。クルミの風味が漂うタレとマッチしてとても美味しかったです。

 

090909_NIKON D700_0156-m.jpg まだまだゆっくりしたい気持ちを抑えて夕方、妻籠をあとにしました。
 JRとタクシーを乗り継いで、最後の目的地、馬籠に着きました。
 坂を上って宿場町に着くと、もう夕暮れ時でした。

(続く)

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2009.09.24(木)

090909_NIKON D700_0089-m.jpg

 江戸時代の宿場町を思わせる、妻籠の街並みです。
 ここは、全国に先駆けて住民らが街並みの保存に取り組み、「売らない、貸さない、壊さない」の原則を守り通してきました。
 この努力により、1976年に国指定の重要伝統的建造物群保存地区の第1号の一つとして指定され、住民運動による街並み保存のモデルケースとして全国に影響を与えました。

090909_NIKON D700_0084-m.jpg  なんと、この日偶然に、当初から運動に深く関わっている伊藤伸三・南木曽町議(副議長)とお会いし、お話をお聞きすることができました。

 明治時代の鉄道敷設の時に、農作物が機関車の煤煙で汚れるのを嫌った住民たちが反対して中央本線の駅が妻籠と馬籠には設置されず迂回したことが、のちのちまで古い街並みが残ることにつながったとの興味深い逸話も、伊藤さんのお話で知りました。

 伊藤さんが経営する土産物屋「あぶらや」の奥に上げていただき、栗や木曽福島の新鮮なとうもろこしなど美味しいものまでごちそうになってしまいました。

090909_NIKON D700_0111-m.jpg 「いまだに妻籠は『夜明け前』の世界のまま。若者が出て行ってしまい、子どももほとんどいません。これから20年、30年後どうなるか」と、宿場町の将来を心配する伊藤さんのお話に、僕もやるせない気持ちになりました。
 どうか、この美しい街並みを後世に残すための答えを見つけたいものです。

 ためになるとともに楽しいお話をしてくださった伊藤さん夫妻に、再訪を約束しました。

(続く)

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2009.09.23(水)

090909_NIKON D700_0001-m.jpg

 この連休に京都に行っていたため、また更新が空いてしまいました。

 この旅のメインともいうべき、中山道・妻籠宿です。
 8日の夜に民宿・下嵯峨屋さんに泊まりました。
 夜20時も過ぎると、通りはほとんど人影が見えなくなります。浴衣と下駄で、かつての宿場町の面影そのままの街並みを歩き、涼しい風に吹かれました。
 静かな中に、近くで祭礼のための太鼓の練習が聞こえてきます。
 印象的な夜でした。

 

090909_NIKON D700_0026-m.jpg 9日の朝、下嵯峨屋をあとにして妻籠を本格的に観光。でも最初は、宿場のメインストリートをはずれて小高い山のほうへ。
 少し前に廃校になってしまった、妻籠小学校をのぞいてきました。

 映画に出てきそうな、とても味わいのある木造校舎。
 撮影意欲を刺激されました。

 

 校庭から眺めた体育館も、なんともいえない雰囲気です。木の温もりってすごいですね。
 地面から背丈が伸びた草が、ここを走り回る子どもたちがいないことを物語っていました。

(続く)

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2009.09.15(火)

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 8日の午後に歩いたのは、旧明智町の街並み。明治末期から大正期にかけての建物が多く残っています。
 米蔵と呉服問屋の蔵が立ち並ぶ路地。絵になりますね。

 

090908_NIKON D700_0124-m.jpg  現在の岐阜県山県市に生まれた、丸善の創業者・早矢仕有的(はやしゆうてき、変わった名前ですね)がハヤシライスの生みの親だという説があるそうで、山県や恵那のあたりではハヤシライスを観光資源の一つとしていることを知りました。

 見物の途中で、「庵道」というカフェでハヤシライスを。普通、牛肉を煮込むものですが、ここのは焼いたものをあとから乗せた、ちょっと変わったハヤシライスでした。

 

090908_NIKON D700_0133-m.jpg  味のある建物がたくさんありました。
 小学校のように見えますが、元病院。現在はお年寄りの脳の活性化をはかる療法を行う施設、「回想法センター」として使われています。

 

090908_NIKON D700_0153-m.jpg  元小学校はこちら。白いとても可愛い建物ですね。
 今は無料の絵画館として使われていて、この時も個展が開かれていました。

 

 

090908_NIKON D700_0243-m.jpg  明智をあとにして、夕方、中山道の宿場町・妻籠に入りました。
 以前から行きたいと思っていたあこがれの地です。

(続く)

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2009.09.14(月)

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 旅の初日の夜は恵那に宿泊。通過しかしたことのなかった岐阜県に初めて泊まり、これで経県値は186に上昇しました。

 2日目の8日、再び明知鉄道に乗り、阿木駅で降りました。駅の前は美しい田園風景。立派に実った稲穂が風に揺れていました。

090908_NIKON D700_0038-m.jpg  阿木駅は木造の駅舎も魅力。僕好みの、落ち着いた佇まいでした。

 そんな駅ですが、すぐ近くに阿木高校があり、通学時間帯は大勢の生徒たちが乗降します。

 明知鉄道は高校生だけでなく、お年寄りなど利用客の姿が多く見られました。
 利用状況に少しはほっとしたものの、利用客数は以前より減少しています。毎年赤字が続いており、恵那市と中津川市が補填しています。

 この路線は、国鉄明知線を経営分離して1985年に第3セクター化したものです。
 そもそも、赤字路線を鉄道ネットワークから切り離したことが誤っています。
 沿線住民に赤字の負担を押し付け、利用客の多い路線はもうけの道具にする。国鉄分割民営化に改めて怒りを覚えます。

 阿木から終点の明智へ。これで明知鉄道も完乗となりました。

090908_NIKON D700_0192-m.jpg  旧明智町(現恵那市)は、町に散在する大正期の洋風建築を積極的に観光資源に生かしています。
 その玄関口の明智駅。駅舎の入り口も、おしゃれな工夫がされています。
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   終点の明智駅に着くと、奥の車庫に入ってゆく車輌。
 車庫には、現在予備的にしか使われていない「アケチ6形」の姿もありました。

(続く)

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