
12日は土讃線を撮影したのち、松山に入りました。
四国旅行の始まりがフェリーで松山港に着いたところでしたから、そこからぐるっと、予讃線、予土線、土讃線、再び予讃線で一周したわけです。
この3日間はJR四国の自由席の特急までが乗り降り自由の「四国フリーきっぷ」を使いました。
なぜ、このように一周して松山に戻る形をとったかにも理由はあります。
が、面倒なので説明は省きます(笑)
旅全体の行程を見ればわかるかもしれません。
さて、最初に上陸したとはいえ、すぐに八幡浜方面へ移動してしまい、素通りに近かった松山。
あまり時間はなかったのですが、初めて少し観光してきました。
といっても、観光したのは13日の昼までのこと。
12日の夜は、今松山に住んでいる職場の元先輩(50代の男性)と久しぶりに再会しました。
「丸万」という居酒屋に連れて行っていただき、酒を酌み交わしました。
かんぱちの刺身や、ほご(かさご)の煮付けなど、地の物で数品つくっていただき、どれも美味!
このお店、メニューがなく、その時々に客の注文に合わせて主人がつくってくれるというのです。
とてもいい店ですが、僕のような庶民にはちょっとこわいです(笑)
この夜はその先輩がごちそうして下さいました。ありがたや...。
余談ですが、主人がとても気さくで話しやすい人で、高校野球の大ファン。特に松山商のファン。
店に78回大会決勝の「奇跡のバックホーム」で熊本工のサヨナラを阻止した時の写真があり、この話で盛り上がりました。
しかも、主人がこのプレーについて、
(1)ライトに矢野を入れたのは遅過ぎで、監督の采配ミスと紙一重だった
(2)熊本工の三塁走者は悠々生還できるとタカをくくって、キャッチャーのタッチをかいくぐるようなスライディングをしなかった凡ミスである
(3)矢野の返球も、大きく山なりでバックホームとしては悪く、「やけくそ」で放った球がノーバウンドで高い位置でミットに収まり、その位置に熊本工の走者がわざわざ突っ込むボーンヘッドに救われただけであった―
これらの偶然が重なってあの結果になったという解説をしてくださり、僕は舌を巻きました(笑)
旅の疲れのせいか、酔いが回り、この夜はふらふらでベッドに倒れ込み、翌日も少し体調が優れませんでした。
少しして回復したので、松山城を見物。21もの国指定重要文化財を抱え、江戸時代に建造された大天守(写真1枚目右)が現存します。
時間の関係で少し駆け足になったのは残念でしたが、加藤嘉明の築城当時から残る乾櫓や野原櫓(写真2枚目)などを見ることができました。
今回はどうしても時間の関係上、観光はここだけ。道後温泉に行けないのは残念でした。
また、路面電車と電車が平面交差する、伊予鉄道の大手町駅の踏み切りでそのシーンを撮りたかったのですが、その場所に歩いているところで交差が始まり、写真を撮ることはできませんでした(笑)
でも、少し遠くからですが見られてよかったです。
この日、松山からフェリーで一旦四国を出て、広島へ向かいました(!)
そのわけは、次の記事で。
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