2012.05.31(木)

牛深の街歩き

 

牛深は、小さな港町です。
初めてこの地を訪れた4月21日は、あいにくの雨、それも時折激しく降る雨でした。

この雨のために夜のハイヤ総踊りは、屋内の舞台演舞に変わってしまいました。

雨のために街歩きと撮影も、なかなかうまくいきませんでした。


 

 

今は小さなこの港町も、江戸時代は海運の寄港地、全国有数の漁業の町として栄えました。


 

その象徴的な存在の一つが、遊郭。いかに寄港地として栄えていたかを物語ります。

かつての遊郭の建物が、今も残っています。
その一つが、「紅裙亭」。
「紅裙」とは、中国の言葉で、美しい女性という意味なのだとか。


 

牛深ハイヤは遊郭の芸妓によっても踊られ、洗練され、船乗りたちによって全国各地へ伝播していった、といわれています。


 

こちらはもう一つの、より立派な造りの「三浦屋」。

もっとも、牛深の遊郭については不明な点が多いです。
船乗りたちが、天候待ちで夜な夜な酒を飲み、遊び、金を落とす。牛深の貧しい女たちは、その男たちを慰めた。
時化がおさまり、再び船で牛深をあとにする男たちを、坂の上から女たちが見送った...。
―といった記述もありますが、真偽のほどはよくわかりません。

むしろ、牛深の遊郭で働いた女性は外部から来たのであり、客の男は牛深の豊かな漁師たちだった、との記述もあります。

まだ多少の資料を読みかじったばかりの僕には、詳しく論じる力がありません。


 

東京下町の狭い路地のような、住宅が密集した集落。
「背戸輪」とよばれる、漁民の集落です。

道が細いのに、海からと山からの風が合わさって風通しがよいといいます。不思議。


 

背戸輪のあるこの一帯を、加世浦集落といいます。
ハイヤ踊りの原型、思い思いに即興のように踊る「元ハイヤ」が、今もこの地域のお年寄りによって踊られています。
今回、僕は見る機会に恵まれませんでしたが、これは貴重な伝統芸能です。


 

牛深、天草は海の幸の宝庫。
あげればきりがありません。ハイヤ祭りでは、たくさんの商店の仮設店舗で、売られていました。

これは、きびなごの一夜干しと味醂干し。
最高です。

きびなごは、九州と高知県以外ではなじみがない魚のようです。
僕は福岡にいた子どもの頃、しょっちゅう天ぷらを家で食べていました。


そしてこちらが、珍味、生からすみ。

これはもう、最上の地酒とともにどうぞ。酒が止まりません。




揚げたての揚げ蒲鉾を売っていた、原蒲鉾店のご主人。

あおさ入りの揚げ蒲鉾など、最高に美味しかったです。

 

牛深は、ちょっと遠いけど、魅力盛りだくさんの街です。


| コメント(0) | トラックバック(0)

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.hoso0907.com/mt5/mt-tb.cgi/749

コメントする

このブログに関するお問い合わせ、ご意見等はお気軽にメールでお寄せ下さい。 iken@hoso0907.com
Powered by Movable Type 5.13-ja