さよなら、D2H
ニコンD3購入のため、4年間愛用してきたD2Hを売却しました。
昨日、僕の手元から離れました。
2001年にオリンパスのCAMEDIA 700UZというデジタルカメラを手にして、僕の写真への追求が始まりました。
02年の夏には徳島の阿波踊りを見て、その素晴らしさに感動。そのカメラではとても写しとめられず、よりよいカメラを求める旅が始まりました(笑)。
その年の秋にはミノルタのDimage 7Hiを購入。当時14万円もしました。
この7Hiを購入する時に、少しでも連写ができるものがほしいと思ったのですが、その要求に応えるのはキヤノン1DとかニコンD1H。値段のケタが違いました(笑)
その後手を出すことになるとは(笑)。
7Hi購入から1年もたたない03年夏。僕はもう飽き足らなくなっていました。
もっとAFが速く、連写ができるカメラがあれば…。
「一眼レフってどういうカメラなんだろう。ずいぶん難しそうだし、お金もかかりそうだけど…」
ヨドバシカメラで初めてデジタル一眼レフに触れた時(それがD1Hなのか1Dなのかは覚えていません(笑))の衝撃は忘れられません。
フォーカスフレームが赤く光って、ピントが合う。そのスピードがあまりに速過ぎて、はじめはピントが合っていることに気づきませんでした。レンズが超音波駆動だったから音もしませんでした。
「これがカメラというものなのか」
ちょうど間もなく、ニコンが秒8コマという高速連写を搭載したD2Hを発表しました。
僕はついに一眼レフへ移行することを決め、予約をして発売日に購入しました。
D2Hは僕にとって初めて、「写真が撮れるカメラ」でした。
初めて手にした一眼レフ。すべてが驚きでした。
ピントは瞬時に合う。動く被写体を追い続けてくれる。それまでのカメラより遥かにクリアな画質。画面の周辺もきれい。特に、テレコンを付けても周辺がとてもきれいなのはすごいと思いました。7Hiでテレコンを付けると周辺があまりに汚くなって悲惨でした。
フラッシュも外付けになり、天井に反射させての撮影が基本になりました。内蔵フラッシュの7Hiの時とは、被写体の美しさが別次元でした。
それ以来の4年間、D2Hは僕をカメラマンとして育ててくれました。
4年間に約6万ショット。僕の写真作品作りをすべて支えてきたのがこのカメラでした。
東北各地の印象深い祭りの数々。秋田・横手のかまくら、仙台の青葉まつり、岩手・水沢の日高ひぶせまつり、秋田・小町まつり、福島・原町の相馬野馬追、そして今年夏の夏祭り総めぐり。
宮城・柴田町の「一目千本桜」、岩手・北上の展勝地公園の桜、仙台市の資福寺のアジサイ、山形・山寺の紅葉と、四季の光景を収めてきました。
「本業」の鉄道撮影では、寝台特急「あさかぜ」の最終日、北海道ちほく高原鉄道、憧れの餘部橋梁、寝台特急「出雲」、首都圏の通勤を支え続けた103系、113系、くりはら田園鉄道、花輪線、山田線、岩泉線のキハ52・58系…。歴史に名を刻んだ列車たちをファインダーで追い続けてきました。
獅子奮迅の働きをしてきた勲章として、ボディには結構傷が目立ちましたが、初期の露出異常(メーカー対応)以降は何一つトラブルがありませんでした。
手放す直前に最後の姿を後輩・D3で撮っておきました。
まだまだ使えるカメラ。僕の手元で眠らせておくよりは、新しい所有者のもとで活躍を続けてほしいものです。




コメント (2)
hosoさんがこのカメラを購入したころ、東京で会ったことを思い出しました。「このカメラっていくらするの? え~~~そんなに!」驚きでしたが、一緒に撮影していて、シャッター音や連写枚数などこんな写真が撮れるのか!とうらやましかったことを覚えています。そして、僕もまた、一眼レフを購入し、コンパクトカメラとの違いに驚きました。
祖父の形見である「ニコンF」はいまだに現役でさすがフラグシップだなあと感じます!
いつか僕もニコンのD1桁シリーズを手にしたいです!
by つよぽん | 2008.01.04(金) 18:18
日時: 2008.01.04(金) 18:18
>>ツヨポン
僕が道を誤らなければ、ツヨポンをも同じ道に引きずり込むことはなかった…(笑)。
おじいちゃんの形見、Fだったんだね。フィルムでの撮影にも挑戦してみては?
僕は初めての一眼レフでいきなりD2Hを手にしてしまって、今思えば無謀でもあったけど、その分カメラに成長させてもらったよ。
D200は十分に高性能でいいカメラ。カメラ雑誌などでいい写真をたくさん観て、D200の力を活かしていい写真を撮ってください。
少なくとも、僕をうならせるくらいの(^^
by Hoso
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2008.01.05(土) 11:08
日時: 2008.01.05(土) 11:08