2007.08.04(土)

青函連絡船・八甲田丸

鉄道

D20_5695.jpg 今夜は弘前市。ねぷたを見たあと一杯やってほろ酔いです。
 ねぷたのことを書く前に、青森で見た青函連絡船・八甲田丸の記念館のことを書こうと思います。疲れた体でブログの更新2ラウンド。今夜はコインランドリーで洗濯もしなきゃいけないし、寝るのは何時になるんだろう(笑)。

 祭り巡りの旅で疲れた体に、「鉄」分補給。津軽線の完乗を果たしたあと青森に戻り、青函連絡船の八甲田丸をそのまま係留して記念館にした施設に行ってきました。
 写真では残念ながら見えませんが、煙突の「JNR」マークが眩しかったです。

D20_5771.jpg 弘前へ向かう列車の時刻との関係で見る時間は1時間。展示物はかなりじっくり見る僕にとっては余裕のない時間でした。
 船内には客室の案内板など、当時使われていた表示類や航行に関するマニュアル類などが展示されていました。
 連絡船廃止を伝える新聞記事のコピーもありました。「『ボー』 むせび泣く連絡船」、「おやすみ“海峡の女王”」などと思いの込められた見出しにマジで目頭が熱くなりました。感情移入し過ぎ(笑)。
 特に、この「おやすみ」は、長年北海道と本州の交通に多大な役割を果たした青函連絡船に対する感謝とねぎらいが込められた、素晴らしい見出しだと思います。

D20_5798.jpg この八甲田丸は、1Fの車輌甲板に当時の車輌を保存して展示してある、世界的にも珍しい施設です。
 青函連絡船の車輌輸送の様子を今も見られるのはたまりません。しかも、保存してある車輌が「スユニ50」や「キハ82」だったり。「荷物」「郵便」の文字なんかしびれますから(笑)。

D20_5797.jpg 船尾の扉も見ることができました。ここから車輌が出し入れされました。
 この扉、二度と開くことはないのでしょうね。連絡船の活躍の姿、一度は生で見たかったです。

 展示されていた車輌の中に、「ヒ」という形式記号の車輌が。
 これは、岸壁から連絡船に積む時の可動橋に、重量の大きい機関車と後続の客車がいっぺんに負荷をかけないために、機関車と客車との間に何両か連結した、いわばダミーの車輌です。形式記号に「ヒ=控え車」というのがあることはうっすらと知っていましたが、その意味を今日初めて知りました。

D20_5801.jpg この八甲田丸、入場者数があまり伸びず、経営的に苦しいようです。
 昨夜から今朝にかけて雨が降りましたが、船長室などにはバケツがたくさん並べられていました。雨漏りの修繕さえできないということでしょうか。心が痛みます。

 船の外では、「津軽海峡冬景色」が流れていました。この曲は演歌の中で僕が最も好きな曲。あの哀愁あふれるメロディに、これ以上なくマッチした歌詞、「泣き」の入った石川さゆりの絶唱。すべてが揃っていました。

 さよならあなた 私は帰ります
 風の音が胸をゆする
 泣けとばかりに
 ああ 津軽海峡 冬景色

 阿久悠さんのご冥福をお祈りいたします。

| コメント(2) | トラックバック(0)

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.hoso0907.com/mt/mt-tb.cgi/361

コメント(2)

阿久悠さんが亡くなってから、そんなすごい人がいたことを知りました。あの歌もこの歌も阿久さんの作詞だったのー!?って感じで驚き。

>>まりちゃん

日本の作詞家最大のヒットメーカーだね。
「津軽海峡冬景色」の歌詞、「北へ帰る人の群れは 誰も無口で」なんてしびれる。

コメントする

最近のコメント

Hoso: >>まりちゃん 日本
(青函連絡船・八甲田丸)
まり: 阿久悠さんが亡くなっ
(青函連絡船・八甲田丸)
Powered by Movable Type 4.2-ja