JR西日本の安全よりも利潤を優先する企業体質が107人の尊い命を奪った、尼崎のJR福知山線脱線事故から2年がたった。
儲けることを最優先にして安全を置き去りにし、公共交通機関の使命を放棄していたJR西日本。残酷に命を断ち切られた犠牲者、体と心に深い傷を負わされた負傷者、家族などに対してどんなに謝っても許されない重い罪を負っている。
JR西日本がすべきこと
同社が罪をあがなうためにできることがあるとすれば、事故の原因を深く解明し、その根本にある同社の利潤優先・安全軽視の体質をはっきり認め、謝罪することと、その体質から脱却して二度とこのような事故を起こさない姿勢を示し、行動に移すことである。
同社の山崎正夫社長は今日の慰霊式典で「お詫びしてもお詫びしても、お許しいただけない」「安全を最優先する企業風土を作りあげることが、多くの犠牲に報いる唯一の道」とのべた。
しかし、同社が実際に取っている姿勢はこの言葉が真実のものとは到底思えないものだ。
同社は、事故を引き起こした根本原因が安全軽視の企業体質にあったことを否定して居直り、これまでの施策を正当化し、遺族に対して誠意のない対応を取ってきた。
式典では遺族の代表が「JRは事故を本当に自らのこととして受け止めているのか。事故と組織をあげて向き合おうとしているのか、疑問に思うことがある」とまでのべた。遺族らのJRへの不信感がどれほど強いかを物語る。
これだけ重大な事故を引き起こした上に、遺族にこのようなことをいわせて、JR西日本に罪の意識はないのだろうか。
居直り
今年2月1日に国土交通省航空・鉄道事故調査委員会が開いた意見聴取会で同社・丸尾和明副社長は、事故と企業体質との因果関係を否定する発言をして、遺族はもとよりこの事故に関心を寄せる人々を驚かせ、大きな批判をよんだ。
彼の発言で特に驚くことが二つある。
一つは、事故現場付近の区間に設置されていたATSが古く、赤信号無視の防止はできても制限速度を大幅に超過する走行を防げなかったことに関するもの。
新型ATSへの置き換えが遅れたことについて丸尾副社長は「当時は国による設置の定めはなく、カーブに必ず必要とは考えていなかった」「運転士が大幅に制限速度を超えることはないと考えていた」とのべた。
これは、過去の鉄道重大事故の教訓から、人間がひきおこしたミスが大惨事に至らないようにするための保安装置が発達してきた歴史を踏まえないもので、およそ公共交通機関の人間の発言とは思えないものだ。
また、基準を作らなかった国の責任も重いが、JR西日本に国を批判する資格はない。
もう一つは、一部で連日のレポートや草むしりなどの形で社員たちを精神的にも圧迫していた「日勤教育」という再教育のありかたについての発言。
丸尾副社長は「有益なことで、運転士には必要だった」とのべた。
確かにミスをした職員への再教育はなんらかの形で必要だが、問題なのはそれが歪んだ形で行われていたことだった。丸尾副社長はそのことについて一切反省せずに、ただ「必要だった」と正当化した。
その上、同社の運転士が2001年に日勤教育を苦に自殺した事件をめぐる裁判で大阪高裁が2006年11月に出した判決を引用し、「判決でも有用性が認められた」と居直った。
JR西日本は自殺を予見できなかったとして同社の勝訴を言い渡したこの判決がそもそも不当なものだが、それでもこの判決は「日勤教育」と自殺との因果関係を認めている。
理不尽な「日勤教育」で社員の命を奪った上に、一般的な再教育の必要性の話にすりかえて「日勤教育」を正当化したこの発言は、いかに同社が「モノをいえない」企業風土に凝り固まっているかを示すものとなった。
結局、JR西日本の主張は、事故の原因が企業体質と無関係ということで、運転士個人に責任が押し付けられることになる。なぜ運転士があのような異常な運転をしたのかということを企業体質と無関係に追究すると、原因は闇の中になってしまう。
事故の原因を謎の淵に沈め、JR西日本の真の責任を覆い隠す。JR西日本は犠牲者、負傷者、遺族らに対して、さらに罪を重ねているといわざるをえない。
「安全の誓い」を守れ
4月23日夜に放送されたNHK「クローズアップ現代」は、事故後のJR西日本の安全対策がどこまで進んだかを検証する、なかなか興味深い番組だった。
同社では社長の下に特別補佐が設けられ、現場の職員の意見がくみ上げられ、施策に反映させられるしくみがつくられた。
このように、努力し、前進している面ももちろんある。同時にこの例は、事故前までの同社で、どれほど現場の意見が施策に反映しない、そればかりか、現場から声を上げにくい企業だったかを如実に示すもので、うすら寒くさえ感じた。
繰り返すが、追悼式典での社長の言葉を本物にするためには、真の原因解明、謝罪、企業体質の変革が必要だ。
本当に安全最優先の風土を確立するならば、「意識改革」に留まらず、それを実現する体制を確立しなければならない。
例えば、軽視してきた安全投資を厚くし、国鉄の民営化後しゃかりきに進めてきた人員削減や外注化をやめ、JR自身が安全に責任を持てるようにすることだ。これは一朝一夕にできることではない。
今やJRの安全管理部門は、実際に線路の上に立つのは下請けのグループ企業の作業員だけで、若い社員はレールに触れたことすらなく、デスクワークをしているのが現状だ。
利潤優先で安全を隅に追いやってきた結果、現場はこうなっている。これはJR東日本も同じ。僕たちはこういう鉄道に乗っているのだ。
4月24日夜のNHK「ニュース9」では、事故で最後に車輌から救出された男子大学生が、両足を切断する重傷に大きなショックを受けながらも、周囲の支えもあって今再び大学生活を送っている様子が映された。
彼は、事故現場を訪れ、言葉を一語ずつ絞り出すように「事故を風化させません」と語った。
悲劇を繰り返さないために、JR西日本に再生が求められるのはいうまでもない。
それだけでなく、利潤優先で安全や生活が切り捨てられる「リストラ」「民営化」「合理化」が跋扈する日本社会で、国民一人ひとりがこうした風潮を許さない眼を持つことも必要ではないだろうか。



コメントする