宮城県北部の栗原市などを走るくりはら田園鉄道(愛称・くりでん)が、今日を最後に約90年の歴史に幕を下ろしました。
沿線や駅では地域を支えたくりでんにお別れを告げようと、太鼓やおはやし、踊りなどが催されていました。
沢辺駅の下りホームでは、近くの市立金成中の吹奏楽部の女子生徒たちが演奏していました。SMAPの「ありがとう」や、夏川りみの「涙そうそう」、さらにはくりでんが撮影舞台になったこともある映画「男はつらいよ」のテーマなど、おなじみの曲が続々と。
その中に、大塚愛の「SMILY」が。音楽の先生のタクトが軽快なリズムを刻み、テレビCMで聞き覚えのあるその明るい曲が流れます。それを聴いていると、思わず目頭が熱くなりました。
演奏しているのが中学生たちで、明るい曲だからなおさらだったのかもしれません。
僕もこの1年、くりでんに足繁く通い、その時々の情景を写真に納めてきました。
乗り遅れそうな女性が走りながら慌てて手を振って運転士に知らせると、列車が駅で待っていてくれるような、のどかな路線。
春には残雪の栗駒山を背景に、秋には黄金色の実りの大地の中を軽やかに走ってきたくりでん。風景の美しさとともに、人と人とのふれあい、温もりを感じてきました。
そこには鉄道の原点、もっといえば日本の原風景が今でも残っている、全国的にとても貴重な路線です。
1年という短い間ではありましたが、僕も同じ路線に通い続けたことで、ささやかながら愛着を感じていたのだと思います。
今日は最後にくりでんに乗ろうと、地元やその周辺から多くの人々が詰め掛けました。
車内は身動きできないほどの大混雑。乗降に時間がかかり、ダイヤは大幅に遅れ、列車の上下交換駅の変更もされました。
石越駅での最終列車の出発セレモニーも1時間遅れで行われました。
最後の列車を運転する運転士に子どもたちから花束が贈られました。
くりでんに長く勤めた方、すでに新しい職場に移り、今日の最後の日を手伝いに来ている方の姿がありました。
それぞれ僕なんかには推し量れない思いを胸に抱いているにもかかわらず、列車の安全運行に黙々と従事されていました。当然のこととはいえ、胸を打たれました。
本当にお疲れさまでした。ありがとう、くりでん。
Hosoさん、こんにちは。
胸が熱くなるエントリーですね。
昨年のGWに初めて乗った、くりでん。
そういえば、あの時も結構な人手で、
田植え前の水の張った田んぼのなかを、のどかに走っていました。
人々の暮らしによく根ざした路線だったんですね。
本当に惜しまれます。
私からも、おつかれさまと言いたいです。
お疲れ様!!
やっぱり行ったかぁ_(^^;) くりでん一度は乗ってみたいと思ってましたが残念です。あらためて、鉄道とはその地域に密着しているものなんですね!次々と廃止されていく地方のローカル線。もうけ第一の日本社会では必要が無くなったのでしょうか?人と人とをつないでいた「くりでん」お疲れ様でした!!
友よ、
君が北の「くりでん」ならば、私は関東の「かしてつ」にいた。
つーことは、メールしたな。
ジョイント音の間隔があんなに短い列車に乗ったのは、いつの日以来か・・・
我々が確かに受け継ぎ残していかなければならない、「日本」が消えていく。
日本を壊す者達に問いたい。
あなたがたは、愛国者なのかと。
所詮、彼らの言う愛国心とは、ひとつのイデオローグや統治機構に対する忠誠心でしかないのだろう。
散りゆかん ディーゼル列車と桜花
常陸の時よ しばしとどまれ
夕暮れの 霞ヶ浦に響きたる
惜別の音 永久にわすらじ
在りし日の 君が歩みし かしてつは
やがて朽ちて 大地へ還る
拒まれし 想い消さんと 旅ぬれど
仰げば浮かぶ 君が面影
>>まかろにさん
まかろにさんも昨年乗ったんでしたよね。
田んぼに水が張っている季節のくりでんも見てみたかったです。
山形鉄道は絶対に守りたいですね。
>>ツヨポン
数十年前、くりでんが大勢の乗客を乗せて走っていた頃も、乗せ切れなくなって高校生を車掌室に入れてあげたなど、昔も今も人と人とのふれ合いのある路線だったんだよね。
鉄道は、人や環境に優しい交通機関なのに、どんどん消えていくのは、日本社会そのものが優しくない社会になっていっている気がしてならないね…。
>>heppokoさん
友よ。今はこの手のイベントに行けるくらいは元気なんだね。まずそのことがうれしいぞ。
この日はそれぞれの場所で鉄道の最後を見届けたわけだ。
政府には地域の交通体系についての政策も見識もまるでない。車がなければ暮らしていけない社会になってしまったね。
農業を潰し、合併で役所を潰し、地域医療を崩壊させ、郵便局も潰していく。
地方には、道路沿いの田畑を潰してできた巨大なショッピングモールやパチンコ屋ばかり。
日本をこんなにずたずたにして、よくもまあ「美しい国」などといえるものだ。政権党の罪はあまりにも重い。
北海道ちほく高原鉄道に行った時に、君に勧められて短歌を作ったのを思い出すなあ。
君への返歌の意味も込め、くりでんの最後の日を詠んでみた。普段短歌などつくらないので拙いが…。
散り急ぐ 桜の花の咲くをだに
待たでぞ くりでん 走り終えぬる
金成(かんなり)の 実りの土を震わせし
鉄路の響き 永遠にとどめなむ
九十年(ここのそじ) 栗鉄見守りし 栗駒山
雲裂き現れて 別れ告げらむ
生徒らの 朗らかなる調べ 聴くほどに
わが眼に映る 駅舎ぞ滲む